2006年4月23日(日)
福島からの帰りに寄り道をして安曇野の桜を撮影に来てみた。
来て見るとバス2台でカメラマンの団体さんがいっぱいいる。
何処へ行ってもいるもんだなぁ・・と思っていたらクラブ仲間の代表から電話が入った。
なんとすぐそばに来ているではないか。
そしてもう一方、昨年秋、戸隠でお世話になった同県人ご夫妻。
偶然とは言え驚いた。

- 2006/05/06(土) 18:43:14|
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2006年4月22日(土)
WEB写友の写遊人さんの計らいにより念願の撮影が出来る事となり、
初めて見る三春の桜達は石川では見る事の無い大きな物ばかり。
そして、その大きな桜があちこちに点在している。

好天にも恵まれ、写遊人さんのおかげで効率良く撮影できた。
作品の良し悪しはさておき、写遊人さんとお話が出来た事、念願のいっしょに撮影出来た事が何より嬉しい日となりました。

- 2006/05/06(土) 18:35:33|
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2006年1月1日(日)
30日の夜中、身体がブルブル震える悪寒で目が覚めた、寒い寒い。
具合がおかしい、31日になると熱が出だした。
何もせずといえども大晦日、お風呂の掃除をするが、それでもうダウン状態。
僕は風邪をひくととにかく寝る、ひたすら寝る。
31日は除夜の鐘を突いて、その足で新年の初詣なのだが今回はずーっと寝ている状態だった。
家内からは、2日の撮影行の予定も「いけません!!」のおしかりを受ける始末。
とんだ年末年始になってしまった。
良く寝たお陰で1日の朝には熱も下がり回復した。
1日は家族で毎年映画を見に行っている。
今年は子供達と親達と二手に別れて映画を観た。
子供達は「Mr&Mrs.Smith」
僕は「男たちの大和」・・・当初家内は「sayuri」を見る予定だったのだが、家内はラジオで聞いた評価で特に「大和」の評価が高く、反町隆史の演技が魅力と聞いたらしい。
会わせて、娘がTUTAYAにバイトに行っているので同僚の映画好きからも大和の評価も高い事を聞いてきた。
それで、元来戦争映画の嫌いな家内だが僕といっしょに観る事になった。
僕は子供の頃、零戦や大和のプラモを沢山作った。
僕は模型を作る時、結構実物の資料を集めて調べる方だった。
いわゆる、マニアだったのかもしれない。
そんな目で見れば映画の出来はやはりハリウッド映画と比べれば話題になったわりには残念かなぁって思った。
実物大の大和を作ったにしても。映画「パールハーバー」の方がリアル感があったなぁーとも思えた。
しかし、ストーリー性や見せ方は良かったと思う。
つまらぬ映画はすぐに寝てしまう家内が最後まで見入り(昨晩就寝3時)おまけに涙流し続けていた。
とにかく、戦場に向けられた15歳〜20歳に満たない子供達の姿・・・泣ける以外になかった。
史実なだけに情けなく思ってしかたがない。
当時、世界最高水準の戦艦と兵役をになう国民の生活感のギャップにはすごい物を感じる。
現在ではイージス艦、僕達の生活にはGPSナビや携帯が当たり前に取り巻いている。
確かに牛、馬を使う百姓の子供達には「大和」は浮沈艦と思えたに違いない。
その当時の日本の軍備技術としてはどうであろう?。
航空技術は歴史的にも浅い訳で、日本人が頭で考え日本人の手で作り、飛行戦闘技術も日本人特有の物をあみだしたと言っていいものであった。
その証に、当時飛行機が船を沈める事は出来ないと思われていた時代、飛行機で真珠湾を攻撃。
無抵抗の船と言えども沈めてしまった。
その後、イギリスが誇る浮沈艦、プリンスオブウェールズとレパルスを戦闘状態にて撃沈。
まさに航空機による戦いの優位性の証を日本軍が作った訳である。
何故にその日本軍が戦力と人の命を浪費していったのだろうか?。
いち早くその事を事実として受け入れた米英の西洋人と良い物と言われる物に固着し続ける日本人の違いがあったのだろうか。
この事から得に米国側は、航空機において防弾装備を強化し、機体剛性を上げ、エンジン出力を上げた。
この事により、零戦と交戦状態になっても一端ダイブで逃げる、ダイブ速度は900kmを超える速度、対して零戦は650kmそこそこ、機体剛性が無い為700kmでは空中分解を起こす。
エンジン出力があるぶんその後、一気に高度を上げ零戦を高位置から攻撃する。
たとえ交わされて撃たれても十分な防弾装備の為落ちない。
船からの対空戦についても対抗策が取り入れられた。
対空砲は発射後、設定時間で炸裂を起こし弾幕を張り航空機が通過しにくくする。
しかし、そこを通過してしまえば実弾が当たらなければ飛行機は落ちない。
アメリカは炸裂弾に電波を発信させる装置を組み込み、航空機が感知する範囲に入ると自動で炸裂する仕組みを取り入れた。
その時に真空管技術が飛躍的に向上した、と聞いた事がある。
何せ発射速度に耐える真空管が必要になった訳だから。
この事により、艦上からの艦対空砲は強固な物になり防弾装備のない日本の航空機は殆ど撃墜されたと聞いた事がある。
その当時、日本の航空技術者やパイロットは防弾設備の必要性を声を大にして訴えていたのに、精神論や大和魂で聞き入れなかった軍幹部がいた事が史実としての結末につながったのだとも聞く。
今も尚、身近に感じる日本人の姿にも似て落胆してしまう。
確か、ラジオで聞いた事があるが「親を無くした子供を孤児と呼び、連れ合いを亡くした人を寡婦(夫)と呼ぶ。しかし、子供を亡くした親を呼ぶ言葉が無い」これは世界中何処の国にもないそーだ。
そんな思いのシーンが現れると涙が浮かぶ、家内はポロポロ泣きっぱなしだった。
感想も「いい映画やったわ」って言っていた。
戦後の戦火をくぐり、生き延びた人達が生きている限界の時期の年。
戦後60年に作られた映画としては、エンディングもとても良い感じでいい映画だった。
この映画を見て得に感じる事。
人の命についての違い、農耕民族と狩猟民族の違いがあるんだろうか?。
戦火を潜り抜けて生きた人には経験が残りその経験が次の戦闘に生かされる、だから先ず兵隊は死なせない事を考える西洋人。
狩猟経験の豊富な人間が生活を豊かにしてきた訳なのだろう。
それに反し、これさえあれば勝てる、後は精神論と技術と伝承・・・土地に守られた農耕民族なのかもしれない。
そーいえば戦後の復興を支えた日本の技術者は失敗と成功を繰り返し蓄積された技術で世界に対抗できる製品を作り上げてきた訳で、特にに失敗の経験が生かされたからなんだろうなと思った。
企業戦争とは言え命までとられる戦争でなかった事なんだから。
でも失敗でクビや左遷や配置替えの処分がありその経験が封印されれば戦死と同じかな?。
常にレースで技術を伸ばしてきたHONDA。
本田宗一郎が「レースで1秒縮めるのにレーサーに命を賭けさせるな!1秒縮めるのはお前ら技術屋の仕事だ」と馬鹿野郎を連発して怒鳴ったと聞く。
そして明らかに設計ミスでレース敗戦した時には設計者を「俺が後ろについていてやるから皆に謝りにいけ!」といった事を本で読んだ事がある。
映画の中ではそー言う日本人らしい部分。
日本人ならではの演技を反町隆史や中村獅童が良い演技で見せてくれた。
これはハリウッド映画には無い日本人の文化の部分だと思うし。
良い映画に仕上がって大切な部分だったと思う。
最後の決戦の時、艦上の黒板に書いてあった[死に方用意]この言葉は忘れられない程に印象に残った。
戦争はいけない、絶対いけないと思う。
でも、・・・こないだ見たTVの「河井継之助」が言う「豊国強兵」も必要なのだと考えてしまう。
写真を趣味に楽しめる豊かな国土と国力にありがたみを感じてしまう。
世界がもっと平和であって欲しいと願うばかりである。
平和を噛締めながらいつまでも写真の趣味を続けていきたい物である。
- 2006/01/02(月) 14:45:37|
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2005年12月11日(日)
今朝起きるとすぐに外を見た。
ぽつりぽつりと雨が降っている。
天気予報によれば雪なのに。
山肌を見ると白い、こっちは雨でも山は雪だ、朝ごはんをぱくついて一路山に向かった。
いつもの鳥越村、気温は2℃、さほど冷えていない。
雪もべた雪だ、今の時期柿を撮っておきたく柿ばっかりを探して走った。

気温はさほど低く無いけど降り始めの雪だったのと風が無かった事で雪は枝に乗っておりあたかも霧氷の様に山肌を飾っている。

午前中僕にとっての初雪を楽しめた。
- 2005/12/11(日) 22:11:17|
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![8811_sfxn_qd[1].jpg](http://blog-imgs-27.fc2.com/k/o/b/kob013/8811_sfxn_qd[1].jpg)
世の中が殆どオートフォーカス機になっているのに僕はマニュアルカメラで頑張っていた。
ポリシーがあった訳では無い、買い換える程でもないなぁと思っていたのとお金が無かったからだ。
そんなおりカメラ店で中古でこのカメラを見つけた。
デザインは先進的で未来的なデザインだ。
映画「ターミネーター」の中でショッピングモールでシュワルツェネーガーがジョンにショットガンで撃たれ、ウィンドーにぶっ飛ぶ様を、買い物客がそのシーンをノーファインダーで連写しているシーンがあった。
映画の内容とデザインがマッチしていた様に思った。
初めて手にしたオートフォーカスに「この程度か?」と思った。
しかしグリップと操作感はまぁまぁで、リトラクトストロボがちょっと刺激的だった。
- 2005/11/30(水) 21:02:37|
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![7307_spf[1].jpg](http://blog-imgs-27.fc2.com/k/o/b/kob013/7307_spf[1].jpg)
ジャンクコーナーより拾い上げたSP-F。
動作確認すると問題なかった。
付属のレンズがカビている程度だったので1000円でお買い上げとなった。
SPは絞込み測光だがこれは開放測光ができる。
使う側にとっては至極使いやすい。
絞りを決め、メーターが中央に来るようにシャッター速度を合わせる。
勿論逆でも出来る、必要に応じて被写界深度を確認する。
開放測光を行うのにスクリューマウントではレンズの位置決め精度が制御に左右されるようで、
これ以後にペンタックスはKマウントに変えている。
時代を逆行してペンタックスのカメラを揃えてみるとメーカーの努力を肌で感ずる事が出来面白い物だと思った。
- 2005/11/30(水) 20:38:08|
- 思ひ出のカメラ|
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2005年10月30日(日)
今日も天気予報によれば雨、朝5時に起きて取り合えず別当出合まで行こうと車を走らせた。
山に近くなってくると晴れ間が出てきた。
急遽変更岩間へ向かった、一度訪れて見たいところがある。
写真を始めて間もない頃、噴泉塔を撮りに足を向けたが道を間違えて断念した思い出がある。
15年は経っているだろうなぁ、車の終点山崎旅館に来て見れば公衆トイレと駐車場が整備されていた。
さてここから6kmの徒歩、紅葉の山肌砂防工事用の道路を歩く歩く。

撮影しながら歩くからペースは至って遅い、体力はありそうなのだが足腰の筋力が無いのが痛感する。
谷間に見える川の向こう側、あんな所まで行けるだろうかと心配になってきた。

岩間温泉の源泉露天風呂についた、ここも綺麗に整備されている。
以前来た時は凄かった。
さてここから2km川へと下らなければならない。
途中崩れている所もあって険しい急勾配の下り、膝が笑ってしょうがない。
何度か足をとられて挫きそうになりヒヤリとしたがミドリの安全靴は足をしっかりサポートしてくれた。
初めて見る噴泉塔、隆起した噴泉塔からは今や蒸気は吹き出ていなかった。

へとへとだったので体力回復後ゆっくり撮影した。
来た道を帰る事を考えるとため息が出るが、秋色に染まったブナ達が元気をくれました。

- 2005/10/30(日) 20:12:57|
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2005年10月23日(日)
今日の天気予報は雨となっている。
それでも撮影に行こうと朝5時半に起きて外を見ると紫色に空が染まっている。
家内と準備をしながらテレビの天気予報をみると強い雨と言っている。
はて? とりあえず出発。
ゲートは8時に開くので慌てる事は無い。
7時半頃についたがやはり先客がいた。
早めにゲートが開き、眩しい朝日を受けて登り始めた。
紅葉は中腹からなので一気に登り、白山遠望地点(標高1300m)では紅葉が盛りだった。

今朝は寒いなぁと思いきや白山に雪が降ったようで白く薄化粧した美しい白山を望む事ができた。
名古屋から来ていたカメラマンが撮影後帰り際「いい姿撮らしてもろた」と言って帽子を取りふかぶかと白山に一礼していた。

そうこうしていると白山に雲がかかりだしたのでブナを撮りに白川展望台に向かった。
しばらく走ると雨が・・・・。
美しいブナ達が雨の中ただずんでいる、時間が早いので観光客も少ない。

30分程撮影していると、次々と観光客が訪れ美しいブナ達に魅了し口々に綺麗と言いあっていた。
そんな中来るたびに目に付く忌まわしい傷跡。
この二人今はどーしているのだろうか?。

- 2005/10/23(日) 20:52:30|
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2005年10月16日(日)
職場の飲み会後一晩お泊りしてその足で山に向かった。
昨晩の雨も上がり色づく空を期待して真っ暗の山道を走った。
5時前に白山の登山口付いたのだが、そこにはもう登山者の車が何台か来ている。
山の向こうから明るくなってくが期待した色が付かなかった。

陽が登り始めると雨上がりの山肌から雲が湧き出てくる。
逆光に光る白いベールにしばし興奮した。

今年はどうだろう?紅葉が遅いんじゃないかな。
異常気象と言われる昨今、やはり何もかもが影響を受けるんだろうな。

幸いな事といえばどんぐりやブナの実が豊富で昨年の様にクマが里に降りて来ず、乱獲されずにいる事。

- 2005/10/17(月) 22:17:28|
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2005年10月8日(土)
家内と秋のキャンプを楽しみたいねぇーと話会っていた。
紅葉も近づいており天候も思わしくないけどこの時しか無いと言うのでいつもの様に夜逃げ同然のスタイルで飛び出した。
一路渋峠へ。
心配していた天候だったけど御来光を見る事が出来た。

初めて訪れる撮影地だったのでクラブ仲間のK氏よりアドバイスを聞きその場所に着いての撮影だった。
やっぱり有名景勝地、ずらり並んだカメラマン、撮影を終えて帰ろうとしたら。「こんにちは」・・・なんとアドバイスしてくれたk氏やはりいてもたってもいられなくなったらしい。
その後、中腹まで下がり昨年クラブの撮影会で訪れた池で撮影。

その後戸隠に入るが設営する時にひどい雨、小降りになって設営するがやはりべしょぬれ。
そうこうするうちにクラブ仲間のM氏夫妻がやってきた。
設営も終わった頃ネット仲間のF氏。
夕食の後M氏のサイトに訪れてワイガヤを楽しんだ。
とはいえ僕は寝ていないので先に休ませてもらった。
家内は夜遅くまで楽しい団欒をすごしたらしい・・・聞くところによれば僕のテントは僕のいびきでガメラが寝ているように見えたそうだ。
翌日9日、M氏とF氏は志賀高原へ、僕は戸隠の中をゆっくり撮影して楽しんだ。

- 2005/10/09(日) 22:26:37|
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