
携帯から絵文字ってつかえるのかなあって思って
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京都府立植物園へまた性懲りもなく出かけて行って、カメラをもって夫とあっちウロウロこっちウロウロしていたら、夫が、そばを飛んでいるツマグロヒョウモンよりもひとまわり大きなきれいな蝶を見たという。「薄紫色みたいな色だったよ」というので、ではオオムラサキ?などと思ったのだけれど、もうとっくに飛び去ってしまった後で確かめようもない。
そこは自然生態園というエリアで日本の山野に自生する植物を植栽してあるから、この季節は秋の草花がちらほらと咲いている。
主に盛りなのがフジバカマで、フジバカマという花はどうしてだか蝶が好むので、先ほどから何を見ていても目の端に飛び込んでくるツマグロヒョウモンもこの花が目当てだし、件の蝶もそれは同じだろう。
ひとしきりそのエリアを見てまわって別の所に移動しようかと歩いていたら、年配の女性が「あなたがた蝶を見ました?」と聞いてきた。私はてっきりツマグロヒョウモンのことかと思い、どこにでもいる蝶だけれどもと思いながら「ええ、まぁ」と夫と顔を見合わせていたら、「こっちにね」と女性がフジバカマの株立ちのところへ案内してくれて、そこにとまっていたのは、薄紫、というより薄青の紋のある蝶だった。夫が「さっき見たヤツ」と言い、それはオオムラサキとは違ってアサギマダラだった。女性はカメラを持っていて「せっかくのチャンスなのにフィルムがなくなってしまって」と慌ててその場を立ち去った。
このブログに以前、翅がやぶれてボロボロになったアサギマダラの画像を貼った事がある。
アサギマダラは私の行動範囲だとなかなかお目にかかることのできない蝶で、これまで奈良の周りの低山の道で遠目に見たこと以外には、上の山の辺の道のボロボロな個体だけで、こんなに美しい無傷のものをいかに緑豊かとは言え市街地の中の植物園で間近に見られるはずがないと改めて意識することもなくはじめから除外していたので、この蝶がアサギマダラと分かって驚嘆した。しかも後からもう1匹のアサギマダラがやってきて同じフジバカマで蜜を吸いだし、両方とも夢中になって吸っている様で、信じられないようなツーショットをしばし見せてくれた。
植物園の職員の方が自転車で巡回してきてその様を見て、やはり植物園にアサギマダラがくることはなかなかないことだそうで、しかも2匹同時というのにやはり感嘆の声をあげられていた。
この蝶たちを見ていた人はあまりいなくて私たちはかなり長い時間蝶を見ていることができた。これはとても運がいいことだったんだろう。
人間というのは河童ではないから自分の生まれていく先を腹の中で選ぶことはできなくて、だから生まれてきたということにはやはり運不運というものがあって、私はかなり運の悪い方、悪い星の下に生まれてきたのだと思っている。
そして悪い星は私の上でずっと輝き続け、私は幸福な人間になる術を損ない続けてきたけれど、何より私が生きていく道を茨と為しているのが人と集うことを苦痛と感じる性向だ。
人と集うこと、集団に属すること、連帯することに挫折した人たちは時たま、(あたかも「酸っぱいぶどう」であるかのように)集うこと、属すること、連帯することをくさす。
ただ私は、これまで一度も、集うこと属すること連帯することを軽んじることはなかった。自分がそこに関われないのであっても、人間はやはりひとりでは生きられなくて、自分の幸福を耕すためには内的にも外的にも人とつながることが必要なのだと知る機会に恵まれてきたからだ。
集うことが苦痛であることは何より私の運の悪いことであるだろうが、集うことが人生の宝だとこの境遇であっても知っていることは私の何より運のいいことだとも同時に思える。
「属せるか」「属せないか」と言えば私は属せないでいるのだけれど、でも私の志向はこれまでもこれからも「属する私」なのだ。
オモフコト | trackback(0) | comment(0) |
ブログを書くことの熱意というものがほぼなくなっている。
アフィリエイトで儲けようとした事はなく、人の役に立つことを書こうという気負いもない。コミュニケーションの手段とも考えたこともないし、この記事に書いたように自我の垂れ流しを戒める声も身の内にある。
そうでなくても日々忙しい。自治会の役員を引き受けたところに夫が転勤して生活のペースが変わって慣れるのに精一杯。その上5月の頭には済んでいたはずの下水道工事がまだ始まりもしていなくてその上隣人との関係がちょっとデリケートな状態になってきていて、ドンとパソコン前に座ってブログを更新できるような精神状態を保てない。
私の中で、この「ヨルトアサ」を含めいくつか持っているブログをどうしようかと答えが出ぬまま、月1度程度の更新を続けているのだった。「更新停滞のブログに広告が入る」というFC2ブログさんのしくみも圧力となっている。
いっそのこと全部消してしまうのでもよいのだとも考える。私は中途半端なことはなるべくしたくないからブログをこのまま放置するのではなしに、消すのなら全部削除するだろう。
しかし、それがなかなか消しがたい。他人から見て何の値打ちもなくても、私が自分で書いた文章がまとまった形になっているものは(過去に新聞などに投稿して掲載されたものはあるが)他にないので、棄てるに惜しいという気持ちがある。
「何故ブログを書くのか」というワードで検索をしてみたら、たくさんヒットしたブログがあったので斜め読みした。
多くの人はやはりコミュニケーションツールとしてのブログの面をあげているけれど、幾人かの人の意見には「自らの論や知を深めるために」というものがあった。
多くの人は、頭の中でこねくり回しているだけでは論を立て知を磨くことが難しいけれど、それを文章に綴ると理解が深まり筋道ができるものだ。
私が文章を書くことに抗えない魅力を感じるのは、私はもっと考えたくてもっと分かりたいからなのだ、と、そんな風に思った。
ブログの持っているもっとも有用な働きを私は用いる事ができないけれど、書きながら考えることなら私にもできる。そしてそれは、毎日は行使できなくても、もしパソコンという道具が私のそばからなくなっても、私が生きている限り肌身離さずそばに置いておくやり方なのかもしれない。
だからとりあえず、ブログは書こうと今は思っている。
オモフコト | trackback(0) | comment(0) |
夏になると洞川に行きたくなります。
ガソリン価格高騰の折、山越えの遠出は厳しいものがありましたが、夫にねだって洞川につれていってもらいました。
写真帖 | trackback(0) | comment(0) |
6月15日の日曜日に、大阪堺筋を日本橋から北に歩き、中之島を通って、淀屋橋から心斎橋筋を南に歩きました。
古い物好きの心の琴線に触れるビルをいくつか見ましたので、こういう写真はweb上にたくさんあるとは思いますが、自分のためのアルバムのつもりで貼っておこうと思います。
写真帖 | trackback(0) | comment(0) |